はじめに

 

 (定義と前提)講座は、動物福祉の定義と、その考えがはじまった歴史的背景の説明からはじまりました。動物の疾病や管理について取りまとめる国際機関、国際獣疫事務局(WOAH/旧OIE)は動物福祉を‘physical and mental state of an animal in relation to the conditions in which it lives and dies’と定義します。日本語にすると「動物が生きているとき、また死ぬときの状況に関連した、動物の身体的・精神的状態」となり、より感覚的な言葉にすると「動物が、そのときの状況や環境をどのように経験し、どのように感じているか」と言うことができます。すなわち、動物の福祉を考えるということは「動物の主観」を考えることで、それは「動物が感性や感情という主観を持つ」という前提の上に成立しています。

 

 (sentient beings)ここで、どんな動物がどんな主観(感性や感情)を持つか、来場者に問いかけるかたちで話が進みました。私たちの周りには、犬や猫といった比較的身近な動物から、牛、豚、ニワトリ、マウスやモルモットといった私たちの生活を支えながらも直接的に見ることは多くない動物、動物園や水族館といった飼育環境で見たことがある野生動物、鳥や魚、カエル、昆虫などの自然の中で目にする機会もある動物など、さまざまな生物がいます。これら動物は、たとえば喜びや苦痛、退屈や恐怖、欲求不満という感情を持っているでしょうか?という問いが投げかけられました。多様な動物種の中で、「感情を持つ動物」と「持たない動物」としてどこに線を引くかは個人によって異なる可能性に言及しながら、欧州においては、法的定義としてその線が明確に引かれることが説明されました。すべての脊椎動物、甲殻類、そして頭足類の動物は「感性あるもの(sentient beings)」として法的に定義されることで、保護の対象となっているのが欧州の特徴です(2024年時点)。背景には17世紀にルネ・デカルトが唱えた「動物機械論」に象徴される、動物の感性の有無についての議論があり、時代とともに今の動物福祉の考えが発展してきたことが説明されました。ただし、たとえ同じ時代を生きていても、動物に対する考え方は個人や文化によって多様です。そのため、動物の福祉について考えるときは、客観性を持った科学知見に基づく議論が大事であることが強調されました。

 

 (福祉と倫理・愛護)日本で動物の保護について語るとき、「動物愛護」という言葉が使われることがしばしばあります。動物福祉と動物愛護のちがいについて、ペンキでピンクに塗られたニワトリを例に説明がされました。動物福祉の立場では「動物がどう感じているか」を考えるため、「ニワトリがペンキで塗られることで痛みやかゆみを感じているか」、「羽がベタベタしていれば、体を正常に動かすことができるのか、できない場合は精神的ストレスを感じているか」、などを主な関心事とします。一方で、「ペンキを塗られてかわいそう」、「ピンクでかわいい」、「そういう行為をすることは悪いことだ」、と思うのは私たちであり、それらは人間の倫理や愛護の気持ち、ということになります。すなわち、ニワトリがペンキを塗られても、痛くもかゆくもなく、正常な行動が発現でき、身体的・精神的な状態に変化がなければ、それは、福祉上は問題ではない、と言うことができます。このような動物の状態や人間の行動に対して、「良(善)い」や「悪い」、「かわいそう」や「かわいい」と考えることは、私たちが持つ倫理観・愛護の気持ちであり、動物福祉とは分けて考えます。

 

 その動物福祉を考える際に重要な、「5つの自由(Five Freedoms)」の考え方が紹介されました。「5つの自由」は1979年に英国で提起された概念ですが、現在では国際獣疫事務局から出される規約においても、人が動物を飼養する際の基本原則として記載されています。(現在の内容は1992年に改訂されたもの)。法的拘束力を持つかは各国の法律によりますが、動物を飼養する場合、以下の5つの自由を与えることで動物福祉を保証しなければなりません。

-飢え・渇きからの自由

-不快からの自由

-痛み・怪我・病気からの自由

-恐怖・抑圧からの自由

-正常な行動を発現する自由

 

 (採卵鶏の飼養システム)これらをふまえ、日本で実際に飼養されているニワトリについて考えていきます。私たちが食べる卵を産んでくれるニワトリは「採卵鶏(さいらんけい)」とよばれ、採卵鶏の飼養にはいくつかの異なるシステムが使われています。

 

 

 バタリー(コンベンショナル)ケージは、従来型ケージともよばれるシステムです。ニワトリは集団で金属製のケージの中で飼養されます。エンリッチドケージは、バタリーケージを改良したシステムで、ニワトリは同様にケージの中で飼養されますが、少し高いところに止まれる棒(止まり木)や、ニワトリが浴びるための木くずが設置されます。エイビアリー(多段式平飼い)と平飼い(単段式平飼い)システムでは、ニワトリはケージシステムより広い一定の空間に集団で飼養されます。平飼いは平面状の床を主な空間として使い、ニワトリは横方向の運動ができます。一方、エイビアリーは平面と棚状構造の飼養場を組み合わせることで、ニワトリが空間を横および縦方向に移動することができます。いずれも、ニワトリの移動範囲は屋内であり、止まり木や、ニワトリが浴びるための木くずなどが設置されます。放牧(フリーレンジ)は、エイビアリーや平飼いシステムの中で、ニワトリが屋外へのアクセスを持っているシステムを指します。すなわち、採卵鶏の飼養システムは「屋内か、屋外か」「ケージか、ある程度の広さを持った空間か(ケージフリー)」「止まり木や浴びられる木くずがあるか、ないか」を焦点として区別することができます。

 

 (講座の意図)いま、日本でも、世界でも、動物福祉に関する議論が増えています。その理由はさまざまですが、気候変動、越境性感染症、生物多様性の喪失、環境汚染という課題は、良くも悪くも「人、動物、そして環境の健康は一体である」ことを私たちに強く認識させているように感じます。これまで人間を中心として営まれてきた生活を見つめなおし、「人も、動物も、より良く生きる」ことを目指すひとつのかたちが“動物福祉”として具現されていると考えています。動物と共通言語を持たない私たちは、動物行動学や生理学、神経学、心理学を用いて、その“心”を知ろうとしてきました。わかったことはたくさんで、言語を用いなくても、人は動物とコミュニケーションできることも知りました。一方で、資本主義に占拠されている私たちの社会において、経済的な利益や身体的な健康は、人がより良く生きるために最も欠くことのできない要素であることを痛感する時代でもあります。

 ニワトリの飼養システムを考えたとき、動物の福祉と人間にとっての経済性・安全性はしばしば対立します。そしてときには、動物と人の福祉も対立するのかもしれません。答えのない問いのなかで、私たちは何を大事にし、どこを目指すのか。簡単には解決できない課題の多いいまこそ、一人一人が考え、選び、行動することが必要だと感じます。きっとその一歩目は、「知ること」。その一歩目になれるよう、今回、私たちは「多面性」を意識しながら、ニワトリの動物福祉について考える場をつくりました。難しく、ときに苦しい話題だからこそ、大事にしたのは「たのしく、かわいく」。グラフィックレコーディングという新たな手法を用い、多様な考え方・価値観を尊重した情報の共有を心掛けました。

 

 動物行動学を専門とする新村さんからは、ニワトリという動物のこと、そして飼養システムのちがいによる福祉の捉え方を。農業経済学を専門とする加藤さんには、飼養システムのちがいによって卵の値段が変動する理由と、そして養鶏に携わる農家さんの福祉という視座から。そして、動物のウイルス学を専門とする日尾野さんには、鳥インフルエンザという感染症がニワトリと人に与える影響について、お話ししていただきました。最後に、3人の演者とともに、いま私たちが直面する課題と、人とニワトリがより良く共生できるこれからの社会ついて考えました。

ここからは3人の演者のお話に、科学に基づく情報をすこし加筆したものです。